ブックタイトルメカトロニクス1月2021年

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概要

メカトロニクス1月2021年

MECHATRONICS 2021.1 43日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第31回 <博覧会で登場した電気製品>「電気の時代」が始まったことが理解出来る。 シカゴ万国博覧会では、2000馬力のアリスエンジンと呼ばれる蒸気機関を動力としてウェスティングハウス社の発電機を回し、会場内に電力を供給するとともに、電車や電気ボートも走り、動く歩道まで設置された。そして蓄音機や電気鍋、電気レンジなどをセットした電化台所が出品され、その後の家電製品の普及を暗示するものであった。1-2. シカゴ万国博覧会の火災事故の原因究明 華々しく登場した電気は、電気実用化時代の幕開けを飾った。しかし、実はこれには問題が発生したのである。展示品はエジソンの研究所から運び出したばかりと言っても過言ではない白熱灯のイルミネーションやエジソンも当時反対していた交流方式の照明が多用され、会場では建設中から電気による火災が電気館で頻発したという。 状況を憂慮したシカゴ当局は、ボストンから一人のウィリアム・ヘンリー・メリル(William HenryMerrill)という25 才の電気技術者を招き、火災の原因を調査するよう依頼した。2)そして1894 年3月24日、ウィリアム・ヘンリー・メリルと2人の仲間が、彼らにとって最初となる検査結果レポート(写真2)を発行した。彼らが試験を行った場所は、シカゴの消防ステーションの上階にある小さな部屋で、製品は不燃性絶縁材料であった。 メリルは、この博覧会での経験から、電気の安全を重視することの必要性を感じ、ボストンには帰らずに、会場からほど近い場所に試験所を開設して試験を開始した。様々な電気製品や部品の試験依頼が相次ぎ、その後、保険協会からの支援などもあり、取り扱い製品の数も種類も電気製品の枠を超えて増加し、メリルの試験所は拡大の一途を辿った。そして1901 年には、Underwriters LaboratoriesInc.(UL)という名称で法人化された。これが安全試験機関として世界的に有名になったUL の設立された背景で、実はシカゴ万博博覧会の電気火災が大きく関係していたのである。 1903年には、試験の判断基準の制定が必要と判断し、初のUL規格を発行するなど、今のULにつながる土台が形成されていき、メリルが初めて試験を行って以来、「より安全な世界を目指して(Working for a safer world)」をモットーに活動している。2. 日本で開催された  万国博覧会と他の博覧会 さて、博覧会に話を戻し、電気製品の展示がないものも含めて日本で開催された万国博覧会や他の博覧会について紹介する。2-1. 日本万国博覧会(大阪万博)(1970年) 1970年に大阪で開催された日本万国博覧会は成功裡に終わり、会期中6,422 万人が来場した。万博博覧会では最も多い来場者数となった。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長をなしとげ、米国につぐ経済大国となった日本の象徴的な意義をもつイベントとして開催された。 「ワイヤレステレホン」、「テレビ電話」、「電気自転車」、「電気自動車」、「人間洗濯機」などの夢のある製品が展示または会場内で使用された。当時、夢のある製品といわれた製品は「人間洗濯機」を除けば既に実用化され、身近で使用されている製品もある。会場内で使用されたワイヤレステレホンは、現在、使用されているスマートフォンのはしりでもある。4)2-2. 沖縄国際海洋博覧会(1975?1976年) 沖縄返還、沖縄県の日本本土復帰記念事業として「海、その望ましい未来」のテーマで沖縄国際海洋博覧会が開催された。日本を含む36ヵ国と三つの国際機関が参加し特別博としては当時史上最大規模となった。2-3. 国際科学技術博覧会(1985年) 国際科学技術博覧会は21世紀の科学技術の祭典として筑波で開催された。47ヵ国、37国際機関が参加した世界で初めて“科学技術”を前面に打ち出した博覧会であった。テーマは、「人間・居住・環境と科学技術」であった。ロボットやコンピュータ、通信関係などが展示された。2-4. 国際花と緑の博覧会(花の万博)(1990年) 当初は、1989 年の大阪市市制100 周年事業として、国内博覧会として開催する方向で準備が進められていたが、国際博覧会として、1990年に開催されることになった。「自然と人間との共生」のテーマで国際花と緑の博覧会(花の万博)が開催された。日本を含む83ヵ国と55 の国際機関、212 企業・団体が参加した。総来場者数は2,313 万名で、特別博覧会史上最高を記録した。2-5. 2005年日本国際博覧会   (愛知万博、愛・地球博)(2005年) 「自然の叡智」(Nature's Wisdom)をテーマに愛知県で開催され、日本の万博史上最多の121ヵ国と5の国際機関が参加して開催された。入場券にミューチップを埋め込み、事前予約やサポートナビを導入するなど工夫された。有人の試験走行で2003年12月にMLX01の3両編成が鉄道における世界最高速度となる581km/時間を記録したリニアモーターカーMLX01-1(写真3)が展示された。2-6. 日本を変えた千の技術博(2018?2019年) 明治150年記念として上野の国立科学博物館で「日本を変えた千の技術博」が開催された。当初は西洋と大きな差があった日本は、近代化を進めて多くの分野で世界レベルに登り詰め、敗戦後も焼け野原から立ち上がり、驚異的なスピードで経済大国となった。現在の日本を築いた様々な科学・技術を紹介したのが「日本を変えた千の技術博」である。<参考資料>1)Johnson, R.(ed.):“A history of the World'sColumbian Exposition”(2004)2)青木正光、“プリント配線板のUL 取得”p3 技術調査会ISBN4-915537-28-5(1994)3)UL Apex UL 規格の基礎知識編集委員会  “UL 規格の基礎知識(新版)”p16日本規格協会ISBN4-542-40551-9(2003)4)朝日デジタルhttp://www.asahi.com/special/osakaexpo/2018_panamuseum/年 度出来事1870 年前後ドイツのジーメンスおよびグラムによって発電機が完成し、これが電力技術の発展の基礎となる1876 年米国のベル(Alexander Graham Bell 1847~1922)は音波を電流によって伝える電磁型送受話器による有線電話を発明し特許を取得1877 年米国のエジソンが、蓄音機を発明1882 年米国のエジソンが日本の竹をフィラメントに使用した電球を発明1885 年日本初の白熱電灯が東京銀行集会所開業式で点灯される1886 年初めての電気事業者として東京電灯会社(現・東京電力の前身)が開業初の自家発電の電灯が大阪の紡績工場で点灯される1887 年名古屋電灯、神戸電灯、京都電灯、大阪電灯が相次いで設立東京電灯が第二電灯局を建設、日本初の火力発電所が誕生(出力25kW)。家庭配電(210V 直流)を開始1888 年初めての自家用水力発電所が宮城紡績所に誕生ドイツのヘルツ(Heinrich Rudolph Hertz 1857-1894)は、電磁波の存在を実験的に証明1889 年米国から交流発電機を輸入し、大阪電灯が交流式配電を開始1890 年品川電灯開業第3 回 内国勧業博覧会で日本初の電車運転警視庁が東京電灯に電柱広告を許可(電柱広告のはじまり)深川電灯開業東京-横浜で電話局が開設東京電灯が浅草凌雲閣でエレベーターを運転。初の動力用電力を供給1891 年帝国電灯開業電気営業取締規則が制定される1892 年東京電灯が電灯1 万灯祝典を挙行(開設当時の電灯数130 余灯が5 年あまりで1 万灯を越える)日本初の営業用水力発電所、京都市営蹴上発電所完成(当時の出力160kW、現存する最古の水力発電所で現在も4500kWで稼働中)1893 年前橋電灯設立シカゴ万博博覧会が1893年5月1日~10月3日の期間にイリノイ州シカゴで開催される日光電力開業桐生電灯設立表2 電気関係の出来事写真3 リニアモーターカー(MLX01-1)(Wikipedia)写真2 最初の試験結果報告書(1894年)3)