ブックタイトルメカトロニクス6月号2020年

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概要

メカトロニクス6月号2020年

44 MECHATRONICS 2020.6   日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第24回 <話題商品を作る上で貢献する自動実装機>連載  話題商品を作る上で、大きな役割を果たしたものに自動実装機がある。今回は、部品を基板に搭載するのに人手に頼っていたのを、自動で搭載する自動実装機の登場について紹介する。 今回、紹介する内容も前回と同様、「裏の技術」の一つと言っても良いかも知れない。 筆者がエレクトロニクス関連企業に入社したころの世の中で、エレクトロニクス市場を牽引する電子機器はカラーテレビであった。旺盛な需要に対応するのに増産、増産で四苦八苦していた時代である。作れば売れた時代であった。 カラーテレビを生産するのに、穴明けされた片面紙フェノールプリント配線板に部品を人の手によって挿入していた。ラインに女性がズラッと並び、自分の担当する部品を基板に手挿入していたのである。ラインの終わりにはフローソルダ装置があり、部品ははんだ付けされ、リードの長い部分はカッタで切断され、部品が実装されたプリント回路板(PCB)をカラーテレビに組み込んでいた。 多くの女性による人手で実施するため、当時、“Crowded Industry”とも言われていた。あまりにも人が多いために、混雑した電車のような意味でカラーテレビを生産する産業をこのように表現していた時期がある。そして、如何にして人手を少なくするかを腐心し、“Vacant Industry”として歩むことが検討された。つまり、人手から機械化によって少しでも人手を減らすことが検討された。 この機械化による自動化について先ず、日本でロボットが早くから登場した背景から紹介したい。 「ロボット(robot)」は、チェコ語で“ 強制労働”を意味する「robota」から名付けられたものである。“ 強制労働”というよりか、機械が人間に替わって様々な仕事をやってくれるロボットが、今や、家庭に入り込む時代となってきた。 さて、日本でのロボットのルーツを調べていくと“自動人形”とも言われる「からくり人形」にいきつく。「からくり人形」については平安時代の今昔物語集にでており、高陽親王の作った機械人形として記述されている。その後、からくりの世界を大きく発展させたのが、江戸時代・寛文二年(1662年)に「竹田近江」が大坂道頓堀で旗揚げ興行した、からくり人形芝居「竹田からくり」が大きく影響したらしい。 からくりの歴史は古く、中国の史書では紀元前10 世紀頃には既にあったとも言われている。からくり人形の起源は、中国伝来と考えられている。そして、1838 年~1853 年には田中久重(東芝の創始者の一人)が「弓曳童子」、「茶運び人形」、「文字書き人形」などの“からくり人形”を製作し、この”からくり人形”は、好評を博し全国で広まった。江戸時代の「話題商品」であったともいえるとして、本誌の特定非営利活動法人 日本環境技術推進機構 青木 正光2018 年7月号で紹介した。1) さて、戦後になって“鉄腕アトム”が登場したのは1951年で、鉄腕アトムの時代想定は52年後の2003 年で原作の公式設定では、2003 年4 月7日が鉄腕アトムの誕生日とされる。製作者は科学省長官・天馬博士で、交通事故死した博士の息子の「天馬飛雄」に似せて作られたロボットという想定で、漫画で紹介される。鉄腕アトムは、その後、サーカスに売られてしまうが、新しく科学省長官になったお茶の水博士の努力で、ロボットにも人権が認められるようになり、鉄腕アトムが人間と共生して生活するようになり、大活躍が紹介され、多くの日本人に夢を与えたSF 漫画であった。 鉄腕アトムの漫画のお陰で、日本における自動化やロボット化に対しては雇用問題で組合問題にもならずにロボットが色んな工業界で取り入られるようになり、高度な自動生産システムの確立に役立つようになる。ロボットの範疇に入る実装機には、個別の名前をつけて大事に扱い、現場の創意工夫により、その生産技術は格段に向上することになった。2) ロボットというと20世紀後半に製造現場における“溶接ロボット”、“塗装ロボット”、“自動実装機”などの自動生産機器という形で登場した時代から、オフィスビルの“掃除ロボット”、“ 巡回用ロボット”や病院では、手術の支援としての“ 医療用ロボット”までひろがり、さらに人々の生活を直接手助けする“ 看護保護用ロボット”まで実に様々なロボットへと進化してきた。 さらに、最近では遊び心で楽しむ“ ペットロボット”が徐々に家庭に入り込むように変化をしてきた。そのきっかけとなったものに時計の実装技術を応用し、世界最小として登場したロボットがある。 培った時計技術を採用して、世界最小の超小型自律走行ロボット(ムッシュ)をセイコーエプソンが商品化して1993 年に5 万円で販売したことがある。サイズは、12.4×11.0×10.8mmで重量4.3gの超小型のセンサをもったロボットである。 部品点数は98 点で、当時、話題となった。遊び心のあるロボットとして、一般に注目もされたロボットでもあった。このムッシュは、日本電子回路工業会(JPCA)が主催するJPCAショーのプリント回路学会(JIPC、現エレクトロニクス実装学会のJIEP)コーナーの特別実装展示コーナーで、その実装例が展示されたことがある。 セイコーエプソンに続いてソニーからはエンターテイメントロボット「AIBO」が商品化され、1999年に販売されるようになった。しかも、インターネットのみの限定販売で実施され世界的に話題となった。 その後、本田技研工業より2000 年に2足歩行ロボット“ASIMO” のレンタル事業が開始された。ロボット化への飽くなき追求は、不可能とされてきた2 足歩行ロボットが日の目をみるまでになってきた。 さて、このようにロボットが導入された中で、話題商品を作る上で大きく貢献したのが自動実装機である。電子部品の挿入の自動化はアキシャルリード(同軸)部品の自動挿入機械が1954 年に米国で開発され、それを輸入し、人手による手挿入から自動挿入機による自動化することが出発点となった。続いてラジアルリード (縦形)部品の自動挿人機の導入とリード付き部品の自動化が進んでいった背景がある(図1)。そして日本では表1に示すように、1968 年に松下電器産業(現 パナソニックスマートファクトリーソリューションズ)から自動挿入機の1 号機(パナサートA)が発売された。元々、靴に釘を打つ自動機械が原型になって、それを参考にして挿入機が開発されたと言われる。 その後、1970 年代~1980 年代にかけて富士機械製造(現 FUJI)、ヤマハ発動機、九州松下電器(現 パナソニックスマートファクトリーソリューションズ)、JUKIなどが自動実装機を開発して製品化していった。 プラザ合意後の1985 年末からの急激な円高によって、セットメーカーがアセンブル工程を、より自動化させる動きを強めた。実装面でのトータルコストの低減を目指したことで、一層、日本国内での自動実装技術というプリント配線板に各種電子部品を自動機械で実装する技術の進歩に繋がった。そして電子機器の「軽・薄・短・小」化はますます進展した。カメラ一体型VTRをはじめとする AV 機器から浸透してきた表面実装技術(SMT)は、1990 年代に入って、携帯電話などの移動体通信機器、パソコンなどの情報通信機器、DVC、DSCなどのデジタル図1 挿入部品ラジアル部品アキシャル部品DIP