ブックタイトルメカトロニクス5月号2020年

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概要

メカトロニクス5月号2020年

MECHATRONICS 2020.5 45日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第23回 <裏の技術(4)> 和釘の製造から始まった三条市の地場産業は、今や金属関係を中心に世界へ飛躍し、包丁・鋏などの利器工匠具類、農機具、建築金具、作業工具、測定具、住宅機器、冷暖房機器、家電用品、DIY関連品、厨房用品、台所用品、レジャー用品、アウトドア用品、スポーツ用品、インテリア用品、園芸用品など生活に関連する製品は品質、デザイン、機能とも優れ幅広い層から高い評価を得るまでになった。<燕市> 元禄年間(1668?1704年)蒲原平野唯一の霊峰弥彦山の麓の海岸にある間瀬村に銅山が開鉱され、ここから発掘された銅鉱石により作られた銅材により銅器が作られた。 銅山が開発された関係で、鎚起銅器や煙管矢立などの製造が始まった。戦後、ステンレス銅が開発されると金属洋食器、金属ハウスウエア、ステンレス容器などが活発化し、一大加工基地を形成するに至った。<長岡市> 1887 年頃に東山油田が開発されたことによって、石油が明治期の長岡の産業の中心となった。この石油産業の興隆によって地場の鍛冶屋は石油掘削のための鉄製器具を生産する鉄鋼業へ脱皮していった。 掘削機械の修理や貨車の修理工場として設立され、その後修理でのノウハウを蓄積し、石油掘削器具の生産と進み、軍事用の工作機械や砲弾、砲架といった兵器の生産も実施し、成長していった。b. 東京・城南地域 東京都の南部に位置する大田区、品川区、世田谷区は、国内でも有数のモノづくり産業の集積地となっている。羽田空港や沿海部に近い地の利を生かして造船業や重工業が発達し、これらを支える中小製造業には見るものをうならせる技術力を誇った企業が集積する。2) IT関連企業も多く、モノづくりとITが融合した新産業も生まれている。大田区は羽田空港跡地の再開発により新産業創出を後押するほか、品川区ではITやスタートアップ企業が手を取り合って“ 五反田バレー” 構想を推進している。行政や金融機関の支援を取り付けながら、新しい時代を睨んだ事業展開を進めている地区でもある。c. 京都地域 京都は、自然条件に恵まれた美しい都市としての顔と長い歴史から神社仏閣などの遺産が豊富な古都としての顔とがある。 日本の都として長く栄華を誇った京都である。輝き続ける「京都ブランド」は、時代を超える強さの秘密がある。歴史と伝統が独自の風土を築きあげ、「まねをせず、自ら作り上げる」という独創性、創造性を大切にする文化がある。多くの京様式企業は、この礎の上に立っている。京都には創造性を重視し、新技術を開発に力を注ぐ企業が多く存在する。8. 先端産業 1980 年代、経済環境の変化で、多くの日系企業が円高の進展で競争力維持のために生産拠点を海外に求めていった。ところが、移転先の国でライバル企業に技術や情報が漏れるという事態が発生し、特に先端産業の先端技術に関しては大きな問題として浮上してきた。コロナウィルスの蔓延で、中国での生産拠点の見直しも始まろうとしている。海外では、工員の離職率が高く、ノウハウが伝承されず不良品の改善にもつながらないようなジレンマもあり、技術ノウハウの流出も問題となってきた。 質の高い製品づくりに欠かせない人材を集めるためにも国内立地の利点が改めて見直されている。つまり、工場の国内回帰への動きがでてきている。今まで、生産拠点の中国などへの移管が先行していたが、開発拠点に近いなどの長所を生かしての高付加価値の製品を日本で生産する「国内回帰」が具体的に出てきている。 また、エレクトロニクス業界で実装部分をアウトソーシングする動きがあり、EMSが一時、台頭したが、このアウトソーシングにも見直しが始まっている。原点に戻り、内製化の比率を向上させて一層の原価低減をして価格競争力をつけるために見直しも検討されている。 原価低減を図るために、安い人件費の海外に生産拠点を設けていった。しかし、激化する価格競争で、アジア依存の他力本願では不十分であることに気付き始めた。さらなるコスト削減には、一工夫が必要で、EMS への外注依存から見直しを実施する企業も出現してきた。電機業界でブームにもなった生産のアウトソーシングの時代からモノづくりの基本に戻り、回帰して、内製化をする企業がでてきている。 内製化を実施し、一貫生産体制を構築して原価低減を達成した企業のみが国内に生産拠点をもつ意味を実感していると言える。9. モノ作りでの課題 日本の労働力人口は戦後の1947年は、約3,500 万人であったが、1998 年まで右肩上がりに増え、約6,800万人に達した。 1948 年後に生まれた戦後第一次ベビーブーム(1947 ?1949 年)で、約850.7 万人が誕生した。同世代は、2005年の国勢調査によると就業者数でみると約490 万人にのぼる。この世代が60 歳の定年を迎えるのが2007年からであった。 影響として先ず、第一に労働力不足である。一番、大きいのは労働力の消失である。百戦錬磨のモノづくりシニアが大量に大企業から定年退職した。企業によっては定年延長して、1 年ごとに更新する形で雇用された人達もいた。 しかし、景気が悪いとリストラの大号令の下、多くの優秀なシニアの人材が対象となり、企業を去っていった。力のある百戦錬磨のシニアは、韓国、台湾、中国等の海外企業に職を求め、自分の力を海外で活かす道を選んだ人達も多くいた。 一方で、他社や他業種への知識移転もできる潜在力をもつ人材は、国内で異業種に転職して保有する知識・技術を活かして活躍した人達もいる。そして、モノづくりの面白さを若い世代に伝えていくのを担った。 次に技能やノウハウの継承問題である。3、4)団塊世代がもつ技能・スキルが定年退職によって失われるのではないかという伝承面からの懸念が存在し、金型製作には、「暗黙知」が存在し、いかに「形式知」にするかにあった。マニュアル化し難い「経験知」の伝承をいかに取り組むかが大きな課題であった。一部、ビデオに記録して少しでも伝承しようとする取り組みもあり、たゆまない努力が実施された。 モノづくりを突き詰めれば、最後は人である。「ものづくり」は「人づくり」でもある。産業間のモノづくり技術の移転が、今後の大きな課題であり、日本経済の強化につながる。5、6) 世界のどの工場で生産しても同じ、最高の品質を提供できるのが真のグローバル企業でもある。 東アジアの辺境に位置し、ひとり近代工業化に成功したとされる日本は、冷戦構造が解体し、東アジアの発展の重心が「日本」から西に向けて移動するに従い、身の置き所を見失っている状況でもある。 現場で真面目に働くことを馬鹿にし、3Kなどと揶揄し続けたマスコミは、若者を製造業との距離を一段と離し、人的側面から製造業の発展を突き崩している。憂うべきことである。「モノづくり」では「人づくり」も大切な要素である。2030年の労働力人口は、6,180万人、2040年の労働人口は、5,460万人へと減少が見込まれている。 小学生の頃から工場見学などを実施して、モノづくりの良さを体験させることも重要で少しでもモノづくりの労働人口を維持することが重要である。 少子高齢化による供給制約を克服していくことが大きな課題であり、そのためには資本投入増加に加え、一人一人が生み出す付加価値を向上させること、すなわち労働生産性の向上が必要不可欠である。労働生産性は向上しているものの世界と比較すると残念ながら日本はOECD加盟国の中では最下位に位置付けされ、労働生産性の改善が急務の課題でもある。 日本の労働生産性は、他の主要先進国と比較すると順位はふるわず、運輸や卸売、小売業、飲食・宿泊業などの主要分野が弱い状況にあるのが特徴である。 少子高齢化と人口減少は、モノ作りに少なからず影響を及ぼす可能性がある。成長を高めるには、人出不足に対応し、生産性を高めることが重要で、企業は人材投資や技術向上に加え、ロボットやAIといった先端技術の活用を進めて、さらなる省力化が日本経済の行方を左右する鍵となる。 また、戦後最大の名目GDP 600兆円という目標を達成する観点からも、さらなる労働生産性の向上が今後の鍵となっていくと思われる。 以上、4回にわたって話題商品を作る上で、裏で支えている「裏の技術」について紹介した。華々しく登場する話題商品の裏では、たゆまなく続く、努力の結晶があることを認識して頂ければ幸いである。<参考資料>1)“目指せオンリーワン”フジサンケイ ビジネス アイ  2005-07-152)“ 攻めに転じる東京・城南地域”日刊工業新聞  2006-07-193)“ 技能伝承”日刊工業新聞  2005-10-27、2005-11-08、2005-11-154)“ものづくり技術伝承と発展” 讀賣新聞  2006-11-295)“ 未来につなぐ日本力”日刊工業新聞  2006-03-146)“ひと&ものづくり”日本経済新聞  2007-01-01