ブックタイトルメカトロニクス6月号2019年

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概要

メカトロニクス6月号2019年

MECHATRONICS 2019.6 45表1 日本プリント回路工業会/日本電子回路工業会関連の歩み年代内容1962年6月「日本プリント回路工業会」(JPCA)を任意団体として創立(初代会長に銘光工業社長の倉島五郎氏が就任)1964年6月2 代目会長として朝日プリント社長の佐藤佐寿氏が就任1969年10月神谷町に日本プリント回路工業会の事務局を設置する。3 代目会長に東京プリント工業社長の荒井貞雄氏が就任1970年5 月プリント配線板製造業が中小企業近代化促進法の業種指定に認可され、中小企業合理化特別償却対象業種に指定された1971年4 月プリント配線板用設備の耐用年数が11 年から7 年に改訂される1971年9 月日本プリント回路工業会創立10 周年記念で第1 回 JPCA Showを東京産業会館で開催1973年「プリント配線板」通産省の生産動態統計調査の対象となる1975年4 月プリント配線板用設備の耐用年数が7 年から6 年に改訂される1977年11 月任意団体であった「日本プリント回路工業会」が社団法人として認可される1978年日本プリント回路工業会に加盟する会員企業の従業員福祉の一環として厚生年金基金の設立を銀行から勧められる1980年日本プリント回路工業会の中に年金設立準備委員会を設置1981年4 月「日本プリント回路工業厚生年金基金」設立1984年5 月「第3 回 プリント回路世界大会(国際会議)」(ワシントン大会)に日本プリント回路工業会関連企業が多く参加する1984年7 月「プリント回路工業健康保険組合」設立1986年4 月「プリント回路学会(JIPC)」設立(初代会長に安達芳夫氏)1987年6 月「第4 回 プリント回路世界大会(国際会議)」を日本で開催1990年6 月中小企業近代化促進法で初めてプリント回路製造業として指定され、実装メーカーが参画する1994年6 月回路会館が竣工し、事務局を西荻窪に移転1996年6 月「プリント配線板営業技能審査」制度を創設1998年9 月第1 回 世界電子回路団体協議会(WECC)会議をドイツ・ヴィースバーデンにて開催1999年9 月「第8 回 電子回路世界大会(国際会議)」を日本で開催2000年3 月「日中電子回路友好促進協議会」設立2005年6 月マイクロエレクトロニクスショー(社団法人 エレクトロニクス実装学会主催展示会)を運営2005年7 月「社団法人 日本電子回路工業会」に改称2007年6 月JISSO PROTEC(社団法人 日本ロボット工業会主催展示会)を運営2007年11 月電子回路が「日本標準産業分類」にて、中分類28「電子部品・デバイス・電子回路製造業」、小分類284「電子回路製造業」、細分類2841「電子回路基板製造業」、2842「電子回路実装基板製造業」として位置付けられた。9 月告示 2008年4月実施2013年4 月「一般社団法人 日本電子回路工業会」に移行2013年6 月「PWBコンサルタント検定」制度を創設日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第12回 <日本プリント回路工業会の設立>会長は材料大手の四社を廻り、事情を説明し、事務局設置のために寄付をお願いに歩いたところ、皆快く引き受けてくれたという。目途がたったため、後は通産省(現 経済産業省)に近い場所に事務所を探すだけになった。しばらくすると神谷町のビルの2階を借りることが出来、事務局長の他に職員数名を雇用して業務の出来る体制が整った。通産省に報告に行った所、業界発展のために、先ず中小企業近代化促進法の業種指定の認可を取得することだと言われた。 そのため、先ずは実態調査が必要と考え、東京を始めに神奈川、大阪、京都を説明して廻り、会員の理解を求め、初めて業界の企業数並びに生産高と設備等の実態が明らかになった。そして、1970 年5月に中小企業近代化促進法の業種指定が認可され、中小企業合理化特別償却対象業種に指定された。 その後、プリント配線板製造装置の耐用年数が当初は、11年であったが、生産設備が4年位で陳腐化することなどから何とか半導体と同じ4 年に短縮をお願いしたところ、1971 年4月に耐用年数が7 年短縮に改定された。さらに交渉の結果、1975 年4月に耐用年数は6 年に改定されるまでにこぎつけた。業界の発展と工業会の繁栄を思い任意団体であった組織を法人化することだと思い、通産省に行き説明し理解を求めて、お願いしたところ、1977年11月に通産大臣から「社団法人 日本プリント回路工業会」として認可された。そして東京プリント工業の荒井貞雄氏が、社団法人としての初代会長に就任した。3. JPCA Showの開催 1962 年に工業会を設立して以来、家電製品の普及もあって電子工業の発展は目覚ましく、プリント配線板関連の業者も増えてきた。材料などの新製品が開発されると材料メーカーはプリント配線板メーカーに対して個々に訪問して、PRして採用して貰っていた。個々に訪問するのも大変だし、プリント配線板関連企業で新製品を開発したものを年に一度、発表する場があれば、便利であるし、PRする場所として考えたという。それが、工業会が会場を用意し、工業会主催の業界展示会として開催したらと思い荒井会長が理事会に提案したという。 理事会で審議の結果、全員の賛成を得て「JPCAShow」として開催を決定し、1971 年9 月に第1回を大手町の都立産業会館(写真2)で開催した。この展示会は日本プリント回路工業会創立10 周年記念事業として企画されたものであった。出展社数40 社で入場者数5,260人に達したという。 この「JPCA Show」開催にあたっては戸越製作所の戸越社長がプリント回路ジャーナルの片岡主筆に依頼して、片岡主筆が企画案を提出したものであった。この第1 回の「JPCA Show」の会場には大勢の入場者があり、出展会社からも感謝され、好評だった。そして第1回は盛況の内に終了したが会場の都合で大きな機械が展示できないという課題が残った。そこで、第2 回目から大きなプリント配線板用製造機械でも展示できるように会場を晴海の東京国際見本市展示場に移して開催することになった。 それ以来、年々、「JPCA Show」は盛況になり、世界的に知られるようになった。海外から参観者も増えて、業界発展に大きく貢献することが出来た。 なお、この「JPCA Show」は、工業会が主催する方式であり、後に米国のIPCや台湾のTPCAなどの団体も同様な方式で実施するようになった。JPCAが元祖とも言える。2020 年には「JPCAShow」も開催50 回目を迎えることになる。4. 厚生年金基金設立 荒井会長の努力によって、1980 年に年金設立準備委員会を発足し色んな企業にお願いして、設立条件の6,000人以上の加入者数を最終的には集め1981 年4 月に日本プリント回路工業厚生年金基金が公法人として厚生大臣より認可された。そして荒井会長が初代の理事長として就任した。5. プリント回路学会設立 プリント配線板に関する国際会議「プリント回路世界大会(PCWC=Printed Circuit World Convention)」が1978年に英国で第1回目が開催され、1981 年にドイツ、1984 年に米国での開催後、第4 回目は1987年に日本での開催が決まった。そのため、会議の状況把握を含めて、発表者も含めると第3 回のワシントン大会には、日本から100名以上の参加があった。 そして国際会議に対応できるようにするために学術的に対応できる組織が必要なことからプリント配線板に関する学会として、プリント回路学会(JIPC=Japan Instituite for Interconnectingand Packaging Electronic Circuit)が1986年に設立され、分野ごとの技術委員会が設置されるとともに学会で世界大会の発表論文を審査する国際交流委員会なども設置され、国際活動ができる体制が整い、台湾のITRIとのJIPC/ITRIジョイントコンフェランスを台湾で開催している。なお、英語名については米国IPCが使用している名称を、許可を得て日本版として採用したものである。 プリント回路学会は、その後、ハイブリッドマイクロエレクトロニクス協会(SHM)と合併し、エレクトロニクス実装学会(JIEP=Japan Institute ofElectronics Packaging)として現在に至っている。エレクトロニクス実装学会と日本電子回路工業会とが車の両輪のようになって活動しているのも多くの工業会がある中で珍しいのではないかと思う。 以上、日本電子回路工業会の設立について設立前の状況からも含めて調べて体系化してみた。参考になれば幸いである。<参考資料>1.“ 職場探訪 東芝トランジスタ工場” 電子工業  Vol.7 No.10 p118(1958)2.松本 望、 “回顧と前進”  <第12 話 米国電子工業視察団>  https://jpn.pioneer/ja/corp/info/history/ontents/kaikotozenshin/12/1/3.高橋雄造、“ 戦後日本における電子部品工業史”  技術と文明 Vol.9 No.1 p81(1994)4.荒井貞雄、“ 晩愁” pp49~pp82(2003)写真2 JPCA Show1971(プリント回路ジャーナル提供)