ブックタイトルメカトロニクス2月号2019年

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概要

メカトロニクス2月号2019年

44 MECHATRONICS 2019.2写真1 伸びゆく電気通信展の記念切手(1949年)写真2 電源タップ写真3 新三種の神器 3C(Color TV、Cooler、Car)   日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第8回 <必需品となった家電製品>連 載 戦後まもない頃は暗く、混乱した世相の中で、娯楽と言えばラジオ番組であった。「素人のど自慢」、「20 の扉」、「話の泉」、「鐘の鳴る丘」などの人気番組が登場し、家族で楽しんだ。 戦後の荒廃した日本では、しばらくの間は、日本の一般家庭に普及していた電気製品は、“ 照明(電球)”、“ラジオ”、“ 電気アイロン” 、“ 扇風機” 程度であった。特にラジオに関しては娯楽番組もあり、戦後の2 年後の1947 年にはラジオ受信契約数が600 万台を突破する程普及した。1958 年にはラジオの契約数は、1,500 万台の受信契約数となる。テレビが登場するまでの間はラジオで楽しんだ。その後、ラジオからテレビへと移行した。 第1回「伸びゆく電気通信展」が1949 年に日本橋三越デパートで開催され、写真1に示すように記念切手も発行された。この展示会に似たものとして1952年に「全国ラジオ祭」、1954年に「ラジオ・テレビと部品展」、1958 年に「ラジオ・テレビ・パーツショー」、1962 年に「日本電子工業展」と引き継がれ、1964 年に「エレクトロニクスショー」、そして2000 年から「CEATEC」と展示会名が変わり、現在に至っている。 現在の展示会“CEATEC” のルーツは「伸びゆく電気通信展」に求めることができる。戦後、4年後に展示会を開催している点も驚くべき復興の証ではないかと思う。 戦後、10年後の1955年に生産された電気製品は、ラジオが179 万台/年、電気アイロンが122万台/年、扇風機が51.5万台/年、電気洗濯機が46 万台/年、白黒テレビが13.7 万台/年、電気冷蔵庫が3 万台/年であった。 その後、経済が飛躍的に成長を遂げた時期があり、“高度成長時代”と呼ばれ、その時期は、1954年12月から1973年11月までの約19年間であると言われる。この間には「神武景気」、「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と呼ばれる好景気が立て続けに発生した。特に1950 年から1955 年にかけて日本の実質国民総生産は、年16~25 %と驚くべき驚異的な成長をとげた。1) 1960 年に首相に就任した池田勇人が打ち出した「国民所得倍増計画」によって、成長体制が整備され、人々の所得も増え、家電製品を購入する下地もできてきた背景がある。1963 年9月に池田内閣は「国産品の使用奨励」を閣議決定している点をみると国産の家電製品を浮揚することに少なからず良い影響をおよぼしたと推察する。いずれにしても日本を経済大国に押し上げる原動力となった。1950 年代から始まった様々な家電製品が商品化された。特定非営利活動法人 日本環境技術推進機構 青木 正光 さて、2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催される予定で、まじかに迫ってきた。東京オリンピックが開催されたのは、高度成長期の1964年10月である。この東京オリンピック開催に間に合わせるように日本のインフラ整備として高速道路が整備され、東海道新幹線が開通した。東海道新幹線は東京駅と新大阪駅間を時速210km の最高速度で走行する世界初の高速鉄道となり、東京⇔新大阪を12両編成で、当時4時間(ひかり)で走った。日帰り出張を可能にした新幹線である。新幹線は関東圏と関西圏のビジネスを繋いだと言っていいほど経済効果をもたらした。 高度成長期が始まる頃の1953 年に、三洋電機から噴流式洗濯機SW-53が発売され、それを見た評論家の大宅壮一は1953 年を「家電元年」と名づけた。それ以来、電化ブームが到来し、高度成長下で家電製品の伸びは際立った。表1に示すように普及し始めた電化製品に「掃除機」、「洗濯機」、「冷蔵庫」の家電3品目があり、1954 年に“ 三種の神器”※ 1)と言われるようになった。1956年度の経済白書で「最早や戦後ではない」と謳われるようになる。そして1960年前後に“掃除機”が“白黒テレビ”に代り、「白黒テレビ」、「洗濯機」、「冷蔵庫」が“ 三種の神器”と呼ばれるようになり、定着した。 “テレビ”、“ 洗濯機”、“ 冷蔵庫” の「三種の神器」などの電化製品が普及するにつれて、問題となったのが電源を取るためにコンセントが限られていたことであった。そこで、家庭内のコンセントを増やす必要性が出てきたことに対して、手軽にコンセントを増やせる電源タップが松下電器産業から発売された(写真2)。これは新たな配線工事は不要で便利な配線器具となった。 当時からの必需品であり、現在に至るまでロングセラーを続けている配線器具である。発売当時から基本デザインに変更がなく普遍的な製品の一つとなっている。 1962 年頃を境に電化ブームは下火となり、1964 年に東京オリンピックが終了し、金融引き締めも重なると企業業績の悪化が顕在化した。1964年後半から1965 年にかけておきた不況で、“ 証券恐慌”、“ 昭和40 年不況”、“ 構造不況”とも呼ばれている。このような時期を克服しながら、次の三種の神器は新三種の神器として3Cと称され、カラーテレビ(Color Television)、クーラー(Cooler)、自動車(Car)が1960 年代に登場した(写真3)。2) 日本車やカラーテレビが飛躍的な進歩を遂げたのが1960 年代である(表2)。特に自動車は若者のあこがれの商品となった。1960年代のクーラー(エアコン)※ 2)は冷房専用機であり、稼働期間は年間 約40日間であった。1970 年代のエアコンは“冷房機能+除湿機能”が加わり、稼働期間は2~3ヵ月と伸びた。 以降、表3に示すように色んな形の“三種の神器”が時代とともに出現し、初期の頃は「生活必需品」として位置付けされた電気製品であった。その後、「生活必需品」から娯楽製品が加わり、「生活便利※1)三種の神器三種の神器とは、日本神話において、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたという「鏡」(ヤタノカガミ)、「剣」(クサナギノツルギ)、「玉」(ヤサカニノマガタマ)のことで、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のことを言う。※2)クーラー(Cooler) 日本ではクーラーを称されるが、これは和製英語で部屋の温度を調節する機器を表わすのではなく、冷やすための装置のことで、断熱材で覆った食品やビール等を冷やす箱については“クーラーボックス”として有名。正しい英語名は“エアコンディショナー”で、略して“エアコン”が使用される。1965年に「ルームクーラー」(日立が命名)から「ルームエアコン」に名称統一している。