ブックタイトルメカトロニクス11月号20108年

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メカトロニクス11月号20108年

50 MECHATRONICS 2018.11   日本の産業構造の変化にともなう電子機器分野の話題商品を追う第5回 <戦後の産業の変遷と話題商品の登場>連 載 日本の戦後のリーディング産業の変遷は、“食糧産業”→“石炭産業”→“繊維産業”→“造船・鉄鋼産業”→“自動車産業”→“電子産業”→“半導体産業・部品産業”→“ICT産業”へと進展した。 そして、2020年代以降はAI機能を付与した“ロボット産業”へ進展すると予測されている。 このような産業構造の変化の中で、時代の変化に伴って多くの『話題商品』が登場した。その『話題商品』の多くには電子機器があり、新しい『話題技術』が使用されて華々しく登場した。 戦前、生活近代化のための生活財の工業生産は緒についたばかりで太平洋戦争に突入し、その後、産業は壊滅状態で戦後を迎えた。 存在さえ危なかった国産品を浮揚させたのは、「米進駐軍家族用住宅」のための家具や家電製品の大量発注であった。1) 1946年には、2万戸規模の規格化された家具や生活家電の製造が、かろうじて残った国内の生産施設に発注された。これが高度成長期に日本製品が飛躍する礎となったともされる。日本の家電が次第に力をつけ、世界で競争力をもつようになった。 日本には、長年の歴史で築いてきた繊細な文化や文明があり、丁寧にモノを作りあげ、少しでも良くしようとする意識がある。 日本の製造業では、品質・効率の改善活動(ZD運動、小集団活動等)は当たり前で、常に危機感や問題意識をもち、「これでよい」という満足することに安住しない所に良さがあり、品質に優れる製品化作りとなり、これが、日本の産業競争力の一つとなった。 高度経済成長期になると“白黒テレビ”、“洗濯機”、“冷蔵庫”が「三種の神器」と呼ばれ、家庭での必需品となり、急速に普及していった。メーカー間では技術向上を競い、テレビを筆頭に高い品質の「メイド・イン・ジャパン」の製品は、世界で支持された。 以下、戦後の日本のリーディング産業の変遷の概要を示すと図1のようになる。1. 話題商品の登場 話題商品の代表例として米国のGEとRCA の二つの事例を先ず紹介しよう。 GEは1905 年に電気トースター(D-12)を開発して家電製品の礎を築いた。その後、第2次世界大戦前までに“冷蔵庫”、“洗濯機”、“生ごみ処理機”などを発売して家電を家庭に広めた。また、RCAはブラウン管テレビを世界で初めて量産した会社で、日本のメーカーの多くは白黒テレビ時代にRCAから技術導入して白黒テレビを生産した。家電製品が米国からはじまった。 そして、日本で家電製品の国産化が進展し、日本で当時、話題となった電気製品関係を企業別に体系化して示すと表1 のようになる。2) 第2 次世界大戦の終戦後、日本は苦難の時期を経て「奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。そしてそのきっかけの一つとなったのが1950 年代に始まった家電電化ブームであり、“ 白黒テレビ”、“洗濯機”、“冷蔵庫”などが普及し、家庭に娯楽をもたらし、主婦を家事の重労働から解放し、生活を画期的に豊かにする現代文明へと突入した。 1950 年に日本電装から回転式電気洗濯機が発売された年でもあり3)、1953 年は三洋電機より噴流式電気洗濯機も発売され、“ 電化元年”とも言われた。そして1955 年には、“ 電気?? ”、“ 電気毛布”、“ 電気かみそり”、“ジューサ”、“トースター”、世界初の“トランジスターラジオ” 等が商品化されて発売された。 さらに1957年には、“電気大工道具”、“電気やぐらこたつ”、“ 電気ポット” 等が発売され、1958 年7月~1961 年12月までは岩戸景気と称され、この時期に、「電気洗濯機」、「電気冷蔵庫」、「テレビ」の家電製品が「3 種の神器」と言われ、当時の話題商品で、必要とした家電製品であった。 日本では、1960 年9 月にはカラーテレビの本格放送が開始され、国内メーカー躍進のきっかけとなった。1965 年に、カラーテレビ国内出荷は5万台、1966 年には、22 万台となり、カラーテレビが、主役の家電製品となった。ソニーが1968 年に「トリニトロン」方式で鮮やかな画面の新製品を発売し、世界市場に進出した。 1965 年11 月~1970 年7 月までは「いざなぎ景気」と称され、「カラーテレビ」、「クーラー」、「カー」が 新三種の神器の3Cと称され、家電製品と自動車が当時の購入したい商品となった。 この頃は「新三種の神器」のほかに“ピアノ”、“カメラ”、“ステレオ”など生活の豊かさを享受するアイテムが相次いで登場し、誰もが同じものをもつことで幸せになる「1 億中流化」が一気に進んだ。 日本万国博覧会(略称は開催地の名から大阪万博)は1970 年に「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げ、アメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義をもつイベントとして開催され、“ワイヤレステレホン”、“電気自転車” 、“人間洗濯機”などの夢のある製品が数多く展示または会場内で使用された。当時、夢のある製品と言われた製品が既に実用化され、身近で使用されている。 1970 年代になると2 回の石油ショック(1973年、1979年)とインフレ、デフレ、高金利による不安定な時代で、エレクトロニクス業界では真空菅からICに替り、省エネ、節電が合い言葉になって進化した。 1980 年代になるとポスト・カラーテレビとして“据置ビデオ”が登場し、さらに半導体が牽引役になり、競争激化で利益なき繁忙となった。 1985年、プラザ合意で円高が進展し、252円/ドル(1985年5月)から1年間で167円台(1986特定非営利活動法人 日本環境技術推進機構 青木 正光図1 リーディング産業の変遷図2 円・ドルの為替相場の変動推移