ブックタイトルメカトロニクス7月号2016年

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概要

メカトロニクス7月号2016年

MECHATRONICS 2016.7 43施策を定めた。■有識者の参加による障害者問題の検討 障害者問題の検討には、「心身障害者対策基本法」(1970年)で規定されているように、有識者が参加する組織を設置して行うこととされていた。委員は、30人以内とし、障害者、障害者の自立及び社会参加に関する事業に従事する者並びに学識経験者のうちから、内閣総理大臣が任命する。委員会名は、当初「中央心身障害者対策協議会」と名付けられたが、2012年の障害者基本法改正に基づき、「障害者政策委員会」と改称された。委員の出身母体は、国立機関、地方自治体、各種法人、企業、大学、個人等延べ約50の組織にわたっている。■「障害者白書」の発表 「障害者白書」は、1993年に施行された「障害者基本法」に基づき、1994年から毎年政府(内閣府)が国会に提出している年次報告書であり、障害者のために講じた施策の概況について明らかにしている。 最新版の「障害者白書」は2015年8月に発行された「平成27年(2015年)版障害者白書」である。■「障害者の日」(日本) 1980年11月28日に日本の厚生省国際障害者年推進本部が12月9日を障害者の日とすることを決定した。それは、1975年12月9日に、国際連合の第30回総会において、“障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、市民と同等の基本的権利を有する”という「障害者の権利に関する決議」(国連総会決議3447)が採択されたことに由来する。 2003年12月3日公布された障害者基本法においても12月9日を障害者の日とすることが法律上定められたが、2004年の同法改正による障害者週間法定化に伴い条文から「障害者の日」の名称は消えた。■「障害者週間」(日本) 日本国民の間に広く障害者の福祉についての関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加する意欲を高めることを目的とした週間である。       1995年(平成7年)6月27日に、当時の総理府(現内閣府)障害者施策推進本部により12月3日から12月9日までの1週間と定められた。これは国際障害者デーであり、また障害者基本法の公布日でもある12月3日を起点とし、障害者の日である12月9日までの1週間と定めたものである。2004年の障害者基本法改正により、12月3日から12月9日を障害者週間とする旨が法律に明記された。(2016.5.17記)(補注)ALS患者が国会に招致され、意見を陳述:「障害者総合支援法」改正案の国会審議が、両院の厚生労働委員会で現在行われている。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う岡部宏生(おかべひろき、58)さん(ALS協会副会長)は、昨日(2016年5月22日)、参院厚生労働委員会における同法の審議に参考人として出席、通訳者のヘルパーを通じて10分ほど意見を陳述し、質疑にも応じた。同氏は、“私の件を契機として、衆参両院で障害者や難病患者への合理的配慮に取り組むことを要望する”とも語った。(2016.5.24朝日新聞)<参考資料>1)国際連合広報局編集、八森充訳「国際連合の基礎知識(改訂版)」関西学院大学総合政策学部( 2012.4)2)内閣府編集:「平成27年版(2015年版) 障害者白書」(2015.8)3)自由国民社編集・発行:「現代用語の基礎知識2016」(2016.1)4)外務省総合外交政策局人権人道課:「障害者権利条約」外務省国内広報室(2015.2)5)内閣府リーフレット「障害者差別解消法」の推進に関する法律」)は2013年6月に成立・公布されたが、2016年4月1日から施行された。 この法律は、障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本的な事項や、国の行政機関、地方公共団体等及び民間事業者における障害を理由とする差別を解消するための措置などについて定めることによって、すべての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現につなげることを目的としている。 厚生労働省は、本問題に関する「対応要領」と「ガイドライン」を作成した。「対応要領」は、厚生労働省職員がその事務または事業を行うに当たり、障害者に対して不当な差別的取扱いをしないこと、そして、社会的障壁を取り除くための必要かつ合理的な配慮を行うために必要な考え方などを記載している。また「ガイドライン」は、厚生労働省が所管する事業分野において、事業者が障害者に対して不当な差別的取扱いをしないこと、さらに、社会的障壁を取り除くための必要かつ合理的な配慮を行うために必要な考え方などを記載している。(7)日本の「障害者権利条約」の締結 2013年6月の「障害者差別解消法」の成立をもって、一通りの障害者制度の充実がなされたことから、同年10月、国会において日本の「障害者権利条約」締結の議論が始まった。・2013年11月19日:衆議院本会議で締結承認。・2013年12月4日:参議院本会議で締結承認。・2014年1月20日:条約の批准書を国連に寄託。(日本は141番目の締約国・機関となる)(8)同条約締結後の取組 日本が同条約を締結したことにより、障害者の権利の実現に向けた取組が一層強化されることが期待される。 以下に、その後の障害者問題に関するトピックスを紹介する。・「障害者政策委員会」(内閣府に設置)は、国内の障害者施策が同条約の趣旨に沿っているかとの観点からモニタリングを行う。・「障害者の権利に関する委員会」(同条約に基づいて設置)は、日本の条約に基づく義務の履行の報告を受けて、その審査を行う。・2013年6月:「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(「障害者差別解消法」)制定。・2016年4月1日「: 障害者差別解消法」施行。 本法は国連の「障害者権利条約」の締結に向けた国内法制度の整備の一環として、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的としている5)。(9)「障害者権利条約」の内容 同条約の概要は以下の通りである。①障害者の尊厳、自律及び自立の尊重、無差別、社会への完全かつ効果的な参加及び包括等を一般原則とする。②障害に基づくいかなる差別もなしに、全ての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、促進するための措置を締約国がとる。③締約国がこの条約の実施を促進し、保護し、監視するための枠組みを維持し、強化し、指定し、または設置する。④締約国が選出する委員から構成される障害者の権利に関する委員会を設置する。■日本における障害者に関する施策 日本では、第二次世界大戦後の障害者施策は、戦争によって被害を受けた多くの子供を救うため、1947年に障害児施策を含む児童福祉の基本施策を定めることから始まったとされている。以下はその経緯である2)。(1)基本法制定前の主な立法・1947年:「児童福祉法」の制定(同年には「学校教育法」が制定され、障害のある児童生徒への教育を含んだ新しい学校教育制度が開始された)。・1949年:「身体障害者福祉法」の制定。・1950年:「精神衛生法」の制定(精神障害者に対する医療、保護の充実、社会復帰の促進等を目的とする)。・1960年:「精神薄弱者福祉法」(現在の「知的障害者福祉法」で、子供から成人に至るまで一貫した知的障害に関する援護事業の整備を図ることを目的とする)。・1960年:「身体障害者雇用促進法」の制定(身体障害者の雇用を促進し、職業の安定を図る)。 これらの法律の成立など、障害者施策は着実に進展していったものの、身体障害、知的障害、精神障害(いわゆる3障害)で、それぞれ別個の枠組みで施策が進められ、また福祉を中心としつつ、雇用、教育、医療といった行政分野別に施策が進められて行く傾向にあった。(2)基本法の制定 そのような中で、障害当事者及び障害当事者を支援する各方面の関係者により、知的障害者の総合施策を推進するための基本法制定を求める声が高まった。・1970年:「心身障害者対策基本法」の成立 本法律は、主に身体障害者と知的障害者を対象にするものではあったが、各省庁が所管する障害者に関連する個別の法律に共通する、文字通り障害者施策に関する基本的な法律として制定された。本法の制定により、我が国における総合的な障害者施策推進の基本理念が初めて法的に確立した。(3)基本法の改正・1993年:「心身障害者対策基本法」は「障害者基本法」と名称が改められた注2()精神障害者がこの法律に規定する障害者に含まれることが明確に定められた)。注2)この改称は、従来から「心身障害者」という表現が心身共に障害を持つ人々と誤解されがちであったためそれを改める意味も含め、“心身”と“対策”という用語を除いたといわれている。・2011年:この改正により、発達障害者が含まれることが明確に定められ、かつ難病に起因する障害を持つ者も含まれることも解釈上明らかになった。■国際連合が取り組む障害者問題との関係 国際連合は、先に触れたように1970年代ごろから障害者施策の推進に係る議決等をたびたび行ってきた。また、日本政府は国連の決定、実行施策を受けて、国内における障害者問題を具体的に推進して、国連と日本との間で以下のような関係を進めて施策を講じてきた。・1976年:5年後の1981年を「国際障害者年」とすることを国連総会で決定。・1980年:日本は、国連の決定を受けて、1980年3月に「国際障害者年の推進体制について」を閣議決定した(国際障害者年の関連施策推進のため、「国際障害者年推進本部」を総理府に設置)。・1981年:「国際障害者年」の関係行事・事業を実施(国際障害者年は、障害者理解の促進を中心としたものであったが、同時に、それまで比較的障害種別に分かれて活動していた障害者団体等が一つにまとまって活動する機会にもなった)。・1983年~1992年:国連は、障害者に関する取組みを引き続き継続する必要があることから、「国連障害者の10年」を総会で決定、同時に「障害者に関する世界行動計画」を策定。・1981年3月:日本はこれらの国連の動きを受け、国として初めての本格的な長期計画を「国際障害者年推進本部」で策定。・1981年4月:日本では、「国際障害者年推進本部」を改組し、内閣総理大臣を本部長とする「障害者対策推進本部」を設置し、障害者施策を総合的かつ効果的に推進することとした(以下「施策本部」)。・1987年:「国連障害者の10年」の中間年であり、施策本部において「後期重点施策」を策定し、より具体的な