ブックタイトルメカトロニクス11月号2015年

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メカトロニクス11月号2015年

52 MECHATRONICS 2015.11日本産業洗浄協議会専務理事 相模環境リサーチセンター 所長 小田切 力里地里山について(9)~「森は海の恋人」運動の経緯~【第164回】■「森は海の恋人」運動(1)「白書」が取り上げた“「森は海の恋人」運動” “里海”ということばが里地里山と結びつけて紹介されるようになり、さらに森、川、海を加えて並列的に取り上げられるようになったのはそれほど古い話ではない。しかし、「2015年版白書」では、“「森は海の恋人」運動”という小見出しを付してまるまる1ページを費やして、里地里山保護活動の実例として紹介している。“里海”の実例が「白書」で取り上げられたことは画期的なことであろう。(2)“「森は海の恋人」運動”の背景 海水と河川水の交わる汽水域注1)での生物生産にとって重要な養分は、上流の森の腐葉土を通過した河川水、地下水が運んでくることに漁民たちが気づき、気仙沼湾(けせんぬまわん)に注ぐ大川の上流域の岩手県室根村(現在の一関市室根町)の室根山(むろねさん)に地元の人々の理解のもとに、広葉樹の森を作り始め、これを「牡蠣(かき)の森」と名付けて、森と川と海が一体のものであるという運動のシンボルとなった。注1)汽水域:汽水は淡水と海水が混在した状態の液体を指す。川が山から流れて海に近づいて河口で川の役目を終えるとき、河川水が海水と混じり合って汽水域を形成する。 その後、植林は室根町矢越山へと場所を移し、毎年6月に行われる「森は海の恋人植樹祭」には1,000人を超える全国の人々が集まっている。 また、同会は気仙沼湾に注ぐ大川の流域住民、特に子供たちを始め、全国の子供たちへの環境教育活動を気仙沼市唐桑町(からくわちょう)の舞根(もうね)湾において続けており、2010年にはその数が1万人を超えている。 2009年5月11日、この植樹会の継続と一層の発展のため「特定非営利活動法人 森は海の恋人」を設立した。同団体は東日本大震災で甚大な被害を受けるが寄付等により持ち直し、現在も積極的に海の環境保全に努めている。■“森は海の恋人”運動の経緯 「2015年版白書」に紹介された“「森は海の恋人」運動”の概要に他の情報を補足して、併記すると以下のような経緯で「森は海の恋人」の思想が、NPO法人の設立等により組織的に広がったことがわかる1,2,4)。①牡蠣士・畠山重篤と歌人・熊谷龍子の出会い 牡蠣士・畠山重篤(はたけやま・しげあつ)氏がはじめた牡蠣養殖のための植林運動を歌人・熊谷龍子(くまがい・りゅうこ)氏の知るところとなり、熊谷さんは畠山さんの環境運動を多く短歌の題材とした。(以下の運動経緯の紹介には、その運動に触発されて熊谷さんが詠った短歌を付す2,3,4)。②気仙沼湾 気仙沼湾は“三陸リアス式海岸の中央に位置する波静かな天恵の良湾”であると説明されており、古くから近海、遠洋漁業の基地として有名である。特にカツオの水揚げは日本一を誇っている。波静かな入り江は養殖漁場としても優れていて、江戸時代からノリ、大正時代からは牡蠣(かき)、海鞘(ほや)、近頃は若布(わかめ)や帆立貝などの養殖も盛んである。  “早春の柞(ははそ)注2)の森はいま起きた   ばかりのような優しさを見す  熊谷龍子”注2)柞(ははそ):木楢(こなら)、櫟(くぬぎ)などの古称③気仙沼湾の牡蠣養殖 気仙沼湾の牡蠣養殖環境は、昭和40~50年代(1965~1975年)に赤潮プランクトン(ツノフタヒゲムシ)のために悪化、海の色は茶色と化し、養殖の牡蠣は“血牡蠣”となって食用にならずに廃棄処分された。  “闘うという姿勢 何れかの   わが細胞と符合してゆく  熊谷龍子”④牡蠣の生育に必須な植物プランクトン 湾内の牡蠣は、本来は海水中に漂っている植物プランクトンを餌にして育ち、その植物プランクトンは、北上川流域の、森林の腐葉土を通ってきた河川水によって海に運ばれている。  “何処かにカンブリア紀の風纏い   牡蠣は息継いで私の前に  熊谷龍子”⑤牡蠣養殖に必要な植林 気仙沼湾の生物を育てている森や川の危機を救うために、畠山氏が音頭をとり、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山(一関市室根町)に木を植える運動を提唱して1989年に約70名の牡蠣士注3)が集まった。注3)牡蠣士:同地方での、優れたカキ養殖家の敬称  “森は此方に海は彼方に生きている   天の配剤と密かに呼ばむ  熊谷龍子”⑥「牡蠣の森を慕う会」による植林運動の開始 同会は、1989年から牡蠣士の仲間による植林活動を始めたが、上流および中流域の農民、水道の水源に頼っている気仙沼市民にも「牡蠣の森を慕う会」の名前で植林活動への参加を呼びかけた(1993年)。  “水の意のままに沼あり巡りには   樹木の生態系を配して  熊谷龍子”⑦その植樹運動の呼びかけ その植樹運動は、以下のような文面で広く関係者に呼びかけられた。・案内:森は海の恋人植樹祭 開催のご案内・とき:1993年6月6日(日)・ところ:岩手県室根村矢越字山古沢地内(植樹会場)  上折壁小学校体育館(講演会場)・案内者:牡蠣の森を慕う会代表 畠山重篤  ひこばえの森分収林組合代表 小岩邦彦・案内文:夏木立に緑溢れしめ葉脈は         生命のやすみのような寂けさ  熊谷龍子 森と海は、いにしえから生命を育むゆりかごです。広葉樹にそっと分け入り、葉擦れに耳を傾けるとき、そして、海辺に佇み潮騒に浸るとき、あなたは安らぎを覚えませんか。森と海は清冽な水を湛えた川によって結ばれ、水が清ければ清いほど絆は深いのです。「森は海の恋人」 を標榜しながら、気仙沼湾に注ぐ母なる川、大川より永遠に清流であれと祈りつつ、室根山を中心に?(ぶな)、栃(とち)、水木(みずき)などの広葉樹約二千本を植林し、「牡蠣の森」と命名してきました。 上流の山の子供達を海に招き、海の生物とのふれあいの中から生態系について学んでもらいました。また、海の子供達には植林を通して森林の大切さを学ばせ、環境教育の手助けも行ってきました。(以下略)  “地の中にも水の中にももしかして   もはや無限という言葉はあらず  熊谷龍子”⑧畠山重篤氏と熊谷龍子氏の交流 牡蠣士・畠山氏と歌人・熊谷氏との交流から、北上山脈の山々の森(手長山、室根山の雑木林)に降った雨が、それらの山から発した川(大川、気仙川)を通して湾(気仙沼湾、大船渡湾)に流れ込み、豊かな海の幸(牡蠣、帆立貝、海鞘)を生み出す状況が、熊谷さんが森と海の生態系に係る想いを託す短歌の素材となった。  “肉厚の黄桃のような海鞘目(ほやもく)の     <海鞘(ほや)>食めば口中に海は広がる                  熊谷龍子”⑨“森は海の恋人”の誕生 畠山氏の説明から熊谷氏の次の一句が生まれ、その句の真意を汲んで“森は海の恋人”ということばでNPO法人の組織が命名された。現在では、里地里山問題ばかりでなく、生物多様性および生態系の諸問題を議論するときの象徴的な表現となっている。  “森は海を海は森を恋ながら   悠久よりの愛紡ぎゆく  熊谷龍子”⑩牡蠣、プランクトン、鉄の連鎖 畠山氏は1989年に、NHKテレビから海藻やプランクトンの生育に鉄分が必須であることを知り、その研究者である松永勝彦教授(北海道大学水産学部海洋化学)との交流がはじまった。  “プランクトン見ている午後の理科室の   其処のみ異次元の界拡がりぬ  熊谷龍子”⑪「NPO法人 森は海の恋人」の設立(2009年) 畠山氏は牡蠣養殖の環境改善をさらに進めるために、それまでの「牡蠣の森を慕う会」を発展させて「NPO法人 森は海の恋人」を設立した。  “いっぽんの広葉樹に凭れつつ   季の移ろいを君が瞳に追う  熊谷龍子”⑫山、森、川、海、汽水のつながり 気仙沼湾に流れ込む大川により、牡蠣の餌となる植物プランクトンの生育に不可欠な養分(窒素、フルボ酸鉄等)が大川の上流部に位置する室根山から湾に注ぎ込まれている。  “森と海と溶け合うという汽水域    朝靄のようならむ水の濃度は  熊谷龍子”⑬室根山の「牡蠣の森」 室根山を「牡蠣の森」と命名し、広葉樹を植えるなどの里地里山づくり活動を実施し、海の環境の改善を図った。  “羊歯植物の群生に遇いし春の午後   縄文人の私語が聞こえる  熊谷龍子”⑭毎年の植樹祭 1989年より実施されてきた「森は海の恋人植樹祭」は現在も毎年継続され、それを主軸として藪払いなどの里山の整備が実施されている。人口の減少や産業・生活スタイルの変化により、昔ながらの里山は姿を変えつつあるが、豊かな生態系をもつ里山を維持管理することで、自然環境を良好な状態に保ち、ひいては川によって繋がっている海の環境の保全を目指す活動が続いている。  “やわらかな芽吹きの色よ四囲の森は   わたしをつつむ繭のごときよ  熊谷龍子”⑮広域的自然環境保全活動 このような「漁民が山に木を植える」という活動が 本シリーズ「ものづくりと地球環境」では“里地里山について”の連載を過去8回継続しているが、今回は第9回として『~「森は海の恋人」運動の経緯~』と題して、おいしい牡蠣を養殖で育てるためには、その養殖場の海(一般には湾)に注ぐ河川の源泉となる山に育つ森林を保護することが必須であるという事例を紹介する。